いつもお引き立てを賜りまして有難うございます。
本日は、プジョー・シトロエン・ジャポンが出しておりますマガジンの
『GRIFFES(Vol.8 September 2012)』 が、プジョー千里に届きましたので
ご紹介致します。
内容は、
プジョーの女性販売員としては、おそらく世界初だと思いますが、累計販売台数が1,000台になった、プジョー世田谷の杉山尚子さんのお話や、
フランス不世出の画家、印象派クロード・モネの睡蓮のお話、
無呼吸状態で水深100メートルの先へと挑むフリーダイビング、篠宮竜三さんのお話、
プジョー508 Griffe をご愛用頂いております フレンチレストラン[ラセール]のオーナー 野際宏行さんのお話など盛り沢山です。
もちろん 『プジョー508』 や 『新型プジョー208』 の紹介も載っております。
プジョー千里でご覧頂けますので、お気軽にお越し下さい。
なお 『プジョーと広告ポスター』 の記事が有り、興味深かったので以下に引用させて頂きました。
アートとマーケティングを両立させた
プジョーの美しき広告ポスターたち
ポスター A ポスター B
自動車と広告ポスター。このふたつは強い結びつきがある。
印刷技術の発展で大量生産が可能になった「ポスター」は、19世紀後半に新たな媒体として衆目を浴びた。
自動車の誕生もちょうどその頃だった。当時、自動車という新しい乗り物を宣伝していくために、斬新な広告手段であるポスターを使い、“自動車時代の幕開け”を大衆に広く認知させようとメーカーは考えた。名だたる芸術家を起用し、彼らの作品のような広告ポスターを制作し、メーカーは“本気度”を世界に訴えた。
その中心にいたのが、プジョーである。ポスターには人を魅了する価値があることを早々に見抜いていた創業者アルマン・プジョーは、才能ある作家に声をかけ、ポスター・プロモーションを大々的に行なった。
プジョーはまず、自社の工業的な強さをアピールしようと考えた。1910年、ポスター作家のタマーニョの作品はまさにそれだ。巨大な工場から出発する自動車、バイク、自転車そしてライオンの咆哮する姿(ポスター A)。アール・ヌーヴォーの中心地から発信されたこの力強いポスターは、プジョーの認知度アップに大いに貢献する。
1920年代になるとポスターは芸術品としての地位を確立。プジョーはレースでの活躍を印象づけようと疾走感のあるポスターを制作する(ポスター B)。
ポスター C ポスター D
また、年間生産台数が10,000台から20,000台に倍増したこの頃、フランス発を大いにアピールしようと、トリコロールカラーでポスターを描く大胆な手法も取り入れられた(ポスター C、D)。
ポスター E
1930年代、ステアリングを握る女性がポスターに登場。女性が自動車を運転する時代が到来したのだ。プジョーも女性にアピールするため流行のアール・デコ・スタイルを採用し、スタイリッシュなポスターを量産した(ポスター E)。
こうして戦禍を被る前まで、プジョーはモダン・アートの成長に大きな影響をもたらした。芸術の国のメーカーである自負は、ポスター1枚からも十分に伝わってくるのではないだろうか。
文=プジョー・グリフ編集室
<ポスターの解説>
(ポスター A)
クルマはType145かType150と思われる。
1910年、フランシスコ・タマーニョ作。
(ポスター B)
1919年、インディアナポリスで優勝したレースカー、4.5リッター。
1920年、ルネ・ヴァンサン作。
(ポスター C)
1925年のTorpedo174S。
1925年、レオネット・カピエッロ作。
(ポスター D)
ドイツ語で「まずはプジョー車をお試しあれ」と書かれたポスター。
クルマはType177。1928年作品。
(ポスター E)
1935年頃のポスター。
ステアリングは402のものと思われるが未確認。